乃木坂46、欅坂46……都内の坂の名称を冠した「坂道シリーズ」のアイドルが人気ですが、東京でおそらく最も有名な坂道と言えば、渋谷・道玄坂(どうげんざか)。
渋谷・道玄坂界隈は風俗の密集地帯として知られています。店舗型ヘルス、イメクラなどはもちろん、近隣には東京随一のラブホテル街である円山町(まるやまちょう)もあり、デリヘルやホテヘルも盛ん。昔はホテトルのメッカでもありました。
今では『渋谷マークシティ』など最先端のビルが建ち並ぶほか、『Bunkamura』『TOHOシネマズ渋谷』など人気スポットが集まる流行発信地です。
今回は、そんな渋谷風俗で働くことをお考えの男性の皆さんにむけて、渋谷風俗の特徴、注意点、長所短所などを、その歴史と現状をタイムシフトさせながら探ってみます。
日本一名を知られた坂【道玄坂】の歴史と変遷
渋谷と言えば、すぐに思い浮かぶのが渋谷駅前のスクランブル交差点。ニュース報道などにもよく登場するので知っている方は多いと思います。
渋谷・道玄坂はその渋谷駅のハチ公口(忠犬ハチ公でお馴染み)から目黒方面に向かう上り坂を指します。
坂の沿道には『109』などの大型店舗を中心に飲食店や映画館などが数多く立ち並び、文化村通りへつながる道玄坂小路に風俗店や飲食店、交番前交差点から円山町方面にはライブハウスやラブホテルが密集しています。
かつて90年代には、 渋谷系ギャルと呼ばれるコギャルがこの一帯に台頭しました。真っ黒に顔を日焼けしたガングロに白のアイメークやリップ、茶髪を通り越した白髪姿のコギャルは当時「ヤマンバ(山姥)ギャル」と呼ばれて一世を風靡しました。
その当時から現在にいたるまで、渋谷はファッションに敏感な若い女の子たちが集まる街としてギャル文化の発信地となっています。
道玄坂という名称には、ちょっと面白い由来があるようです。その一つが、昔この地域に出没した山賊にちなんでつけられたという説。
鎌倉時代、勢力を振るっていた和田義盛の一族が北条氏の手で滅亡に追いやられた際、その一族だった大和田道玄は現在の道玄坂に落ちのびて山賊となり、坂の上で旅人を見つけては衣類や金品を奪って暮らしていたとか。
道玄坂は、その大和田道玄の名前からつけられたというのです。物騒なエピソードですが、ヤマンバギャルなどがはびこった過去の歴史を考えると、妙に相応しいような気もしますよね。
ラブホテル街【円山町】はかつて花街だった
お洒落なファッションタウンとして知られる渋谷ですが、その反面、渋谷は性欲に彩られてきた街でもありました。
それを象徴するのが、円山町に広がるラブホテル街でしょう。
最近でこそ“裏渋”とも呼ばれて洒落たレストランやBAR、ライブハウス、クラブなどが集まる人気スポットですが、円山町と聞くとラブホテルをイメージする方は多いはず。
この一帯には100軒近くのラブホテルが集まっていると言われます。その規模は鴬谷などのラブホ街と並び、都内最大級です。
円山町にラブホテルがこれほど集まるようになった背景は、この町の歴史と密接な関係があります。
円山町は昭和40年代頃まで渋谷三業地と呼ばれる花街でした。
花街とは芸妓置屋、待合、料亭の営業が許可された地域のこと。この3業者が三業組合を組織していたことから三業地と呼ばれ、花街の俗称となりました。道玄坂上から旧山手通りに抜ける一帯は三業通りと称され、花街が広がっていたのです。
円山町が花街として栄えるようになったきっかけは、明治時代まで遡ります。
明治20年頃(1887年)、義太夫流し(=人形浄瑠璃の義太夫節を奏でながら花街などを練り歩く芸人)をなりわいにしていた人物が、この地に芸者屋『宝屋』を開業したのが始まりと言われています。
明治20年といえば、渋谷駅(当時は「澁谷駅」)の開業から2年後。東京に初めて電燈が灯った年でもあります。
『宝屋』が評判となると、円山町に店を構える芸者屋や料亭が他にも現われました。それに伴って代々木にあった練兵場の将校たちも遊びに訪れるようになり、店舗数は年々増加の一途を辿りました。
明治40年(1907年)3月に道玄坂上~三軒茶屋間に玉電(東急電鉄玉川電車)が開通、同年8月は渋谷駅まで繋がったことも花街が栄えるきっかけとなりました。
大正2年(1913年)には芸妓置屋24軒(芸妓60名)、待合茶屋13軒があったとか。これが大正10年(1921年)には芸妓置屋137軒(芸妓402名)、待合茶屋96軒に増加したといいますから、いかに栄えていたが伺えます。
さて、その花街になぜラブホテルが乱立することになったのでしょうか。
当時、花街の周辺には金持ちの旦那衆から家を与えられたお妾さんが大勢住んでいました。正妻ではない彼女たちは、生活の保障を得るためにその自宅の一部を旅館に改装して貸し出すようになったそうです。それが渋谷ラブホ街のルーツと言われています。
当初は料理も出していましたが、利用者の要望などに応えるうちに部屋を時間貸しするというスタイルに変化したようです。
当時の日本は自宅にプライベート空間がない家が多く、夫婦や恋人が二人でゆっくり過ごせる場がありませんでした。そのため、この連れ込み旅館は大繁盛しました。
やがて、連れ込み旅館は増改築を繰り返し、木造から鉄筋に建て替えられて現在のラブホテルへと発展していったというわけです。
ちなみに、渋谷ホテル旅館組合の名簿をあたると創業者の半数は女性です。この事実がその渋谷ラブホテル街の起源を巡るエピソードが真実であると裏付けていると言えるでしょう。
昭和55年(1980年)頃を境に花街が衰退してくると、円山町はラブホテル街として脚光を浴びるようになりました。その後、ラブホテルがブームになると、円山町はカップルに人気となったことはもちろん、出張系風俗店のメッカとして賑わうようになりました。
円山町の闇として今も語り継がれる『東電OL殺人事件』
ラブホテル街・円山町の歴史を語る時、今も語り草となっている事件があります。
『東電OL殺人事件』――有名な事件ですが、あらためてその経緯を振り返ってみます。
この事件がマスコミで大々的に取り上げられたのは、事件がラブホテル街である円山町で起きたことと被害者女性の特異な私生活が要因です。
被害者となった女性は、慶応大学経済学部を卒業後に東京電力に入社し、研究職に就いていた超エリートOL。それだけでもマスコミが飛びつきそうですが、実はその女性には裏の顔がありました。
昼間は有名企業に勤務しながら、夜は立ちんぼとして円山町のラブホ街に立ち、行き交う男性に声を掛けては売春する二重生活を送っていたのです。
※守ってくれるものがある「風俗」ではなく、依るものがなにもない「立ちんぼ」をおこなっていたのが、悔やまれます。
その女性は一日に必ず4人は客を捕まえると自分にノルマを課していました。そして、客の記録を赤い手帳に克明に書き記していたと言います。年収1千万円近くの一流OLがなぜ体を売っていたのか――憶測が憶測を呼び、報道は連日過熱していきました。
東京・新橋の東電本社での勤務を終えると、女性は渋谷に直行し、109で化粧直しをした後に円山町のラブホ街に<出勤>していました。
円山町の仕事場は、道玄坂地蔵の前。彼女はいつもここに立ち、約5年間立ちんぼを続けていました。立ちんぼをする際、毎日この道玄坂地蔵にお願い事をしていたと言います。
事件が発生したのは平成9年(1997年)3月8日。この日も女性はいつものように売春をしていました。
当日の23:45分頃、彼女が黒と白のジャンバーを着た青年と『喜寿荘』に入る姿が目撃されています。これが生前に目撃された最後の姿となりました。
それから11日後の3月19日、渋谷のネパール料理店店長が女性の遺体を発見。その2ヶ月後にはネパール人男性が逮捕されます。彼女が最後に使用した喜寿荘101号室に、その男の精液が付着したコンドームが見つかったことが決め手だったようです。
しかし、この逮捕には多くの疑問点が残ることになり、最終的には冤罪とされて男性は無罪放免となりました。
真犯人は未だに見つからず、事件は未解決のまま発生から22年の歳月が過ぎ去っています。
まさに、現代の闇を物語るエピソードと言えるでしょう。
ラブホテル街・円山町という特異な地で起きた殺人事件。それは渋谷という街の明と暗を印象付ける出来事として人々の脳裏に刻まれているのです。
かつて渋谷の中心地として栄えた街【百軒店】グルメスポット
円山町に隣接する地域にしぶや百軒店(ひゃっけんだな)と呼ばれるエリアがあります。ここはかつて60年代までは渋谷の中心地として栄え、喫茶店、バー、飲み屋、大衆食堂、洋食店などがひしめきあっていました。
70年代に入ると、西武百貨店や渋谷パルコといった大手デパートなどの戦略により、渋谷の中心は百軒店から他のエリアへ移っていきました。
その後、この地にはマンションや風俗店などが立ち並ぶようになりましたが、今も個性的な飲食店が軒を連ねるエリアとして知られます。
中でもおすすめの店を独断で厳選してご紹介しましょう。
『小料理 百けん』
隠れ家風のカフェを思わせる外観が楽しい小料理屋。和食ならではの魅力を生かした料理をカジュアルに味わえます。
『中華麺店 喜楽』
グルメ漫画『孤独のグルメ』にも登場した渋谷・百軒店の超有名ラーメン店。揚げネギ入りスープの元祖とも言うべき醤油ラーメンは絶品。
『ムルギー』
あの美食家の文豪・池波正太郎先生も愛した老舗印度料理店の絶品カレー。一番人気の「卵入りムルギー」は一度食べたら癖になる味。レンガ作りの店内もお洒落です。
この他にもおすすめ店はたくさんあります。興味がある方は百軒店を探索して、自分好みの店を見つけてみてはいかがでしょうか。
渋谷【道玄坂・円山町・百軒店】まとめ
時代の流れとともに大きく移り変わってきた街・渋谷。
来年の東京オリンピック開催を機に、渋谷は今、再開発が急ピッチに進められています。
2019年に『渋谷スクランブルスクエア東棟』が開業され、さらに2027年までには『渋谷スクランブルスクエア西棟』も開業される予定。
また、2019年に道玄坂一丁目駅前地区、2023年には渋谷駅桜丘口地区の再開発が竣工予定となっています。
渋谷は今後も変わり続け、進化していきますが、そこに行き交う男と女の生と性の本質は変わることはないでしょう。
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