先日フリージャズが好きな旧友と久しぶりに話をする機会がありました。その友人は相変わらずフリージャズの話ばかりしていて「最近は○○にハマっています。○○は凄いですよ」と言うのですが、フリージャズに興味のない私にはサッパリ、どれを聴いても同じにしか聴こえません。その友人は曲を聴けば誰の演奏なのか分かるらしいのですが、「どこで聴き分けるの?」と訊くと「フレーズ」と、フレーズに演奏者それぞれの特徴があるのだとか。しかし、よくよく考えてみると、フレーズによって聴き分けができてしまうそれの一体どこが「フリー」なのかと、そんな疑問を人知れず募らせる私は品川ラズベリーで責任者を勤めさせていただいているものです。
ジャズの歴史、進化とは「フレーズの進化」に同義です。ジャズのフレーズは即興によってその場その場で生起されるのですが、しかし、そのフレーズは決して「自由」ではありません。予め決められた枠内、例えば「コード進行」と調和する範囲の自由は許されても、それを逸脱することは決して許されません。なぜなら調和を逸脱するフレーズは聴く者の耳に不快感を残すだけだからです。では、ジャズの歴史を作ってきた往年の名プレイヤー達はどのようにして音幅を広げ、フレーズを進化させてきたのか、その秘密はそのフレーズを展開させる基幹(ベース)にあります。つまり、コードそのものやコード進行をより複雑にし、また、旧来絶対とされていたコードに拠らない「モード(音階)」をその基幹とすることによって(その内部に展開される)フレーズの自由度をより拡げていったのです。要は、フレーズを展開させる「場」そのものを拡げることによって、その場に調和し得るフレーズもまた拡げていったということ、但し、そこに展開されるフレーズにどれほど自由度が増したと言っても、そのフレーズがある特定の「場」に従属する限り、完全な自由を得るには至りません。フリージャズのフリー(自由)たる所以は、フレーズを収める「場」そのものが存在しないことに、調和を求める対象がないわけですから、フレーズは当然ながら無尽蔵です。冒頭の疑問に答えを求めるなら、「場」を排除したはずのフリージャズでも、プレイヤーが知らず知らずのうちに彼ら独自の「場」を作ってしまっているということ、故に、フレーズによる「聴き分」けがあり得てしまうのです。多分、完全に自由なフレーズを生み出すことなど人間には不可能なのでしょう。
さて、シンデレラグループの進化発展はジャズのそれに似ています。デリバリーヘルスから始まったそれはホテル型ヘルスの形態を取り入れ、そして、近年では「エステ」の概念をも取り入れています。ヘルスのタイプにしても学園系、人妻系と様々、OL系という新たなジャンルにチャレンジしたのはつい最近のことです。基幹となる「場」が次々と拡張されていくことによって、そこにより多様なフレーズが展開し、より豊かでより心地よい楽曲が生まれる、しかも、新たな「場」の生成を放棄して停滞を余儀なくされたジャズとは違い、シンデレラグループはまだまだ進化発展を続けています。
既に与えられた豊かな「場」に於いて、可能な限りの美しく巧みなフレーズを生み出し、そこに心地よい調和をもたらすことは多分私たちにもできるのでしょう。しかし、その基幹を拡張し、新しい「場」を生成していく、つまりはシンデレラグループがさらなる発展を遂げるためにはこれをご覧いただいている皆様方の力添えがどうしても必要です。否、既に在るこの「場」に於いてさえ、まだまだ多くのフレーズを生み出す余地が残されているに相違なく、私たちのいまだ知らぬ高度で美しいフレーズを奏で、この場に素晴らしい調和をもたらしてくれるのもきっとこれをご覧いただいている皆様方、我こそはコルトレーン、我こそはエヴァンス、シンデレラグループではそんな皆様方からのご応募を心よりお待ち申し上げております。
より高度でより美しいフレーズを求めて