最寄りの駅まで車で30分。
近くのバス停まで徒歩20分。
こんなとある大田舎に住んでいた者の上京物語。
田舎の農協に10年勤め退職。
その後1年半フリーターをしていた時に、東京で働いていた2つ下の後輩に誘(さそ)われ、30歳で都内の運送会社に出稼ぎに来たのがそもそもの始まりでした。
都会の道は知らない、4t車も運転したことが無いのに勢いで来ちゃったけど…本当に大丈夫か?
新幹線に乗り上野駅で待合せをし、後輩とその時の親方が迎えに来てくれそのまま「もつ焼き大統領」で顔合わせを兼(か)ね一杯ごちそうしてくれた。
緊張感でいっぱいの中、盃(さかずき)を重ねるにつれ心も安らいでいった。
三浦洋一風な親方がとっても人が良さそう、そして何より酒も好きみたいだなって(笑)
これならなんとかやって行けそうと思った。
ところがその夜、あんなに呑(の)んだはずの酒が効いてない?
また俺、酒強くなった?と思ったが違った…
床について窓から見える沢山のトラックを見ていたら、不安な気持ちがこんにちは!
寝れなかった最初の夜は。
そう今でも忘れない東京初夜。
やっぱり来なきゃ良かったと思った夜。
でも気づくと朝だった(笑)
そんな思いもしましたがどうして行こうと思ったか?
都会は遊びに行くところとずーっと思っていた筈なのに、ど、どうして?
理由はいっぱいお金が欲しかったから。
農協勤務当時は手取りで1?万くらい貰ってただろうか?
田舎暮らしなら生活に困る金額ではないが、もっと使いたかったのでアルバイトもしてなんとか20万位の収入はあったと思う。
5月の初め頃に、後輩から電話が来た。
「東京でトラック乗らない?」
「田舎の3~4倍は貰えるし、寮もあるから」
の言葉に気持ちは大きく揺れた。
そして翌日には行くよ!と返事をした。
この瞬間、僕の親不孝第2章の幕が開けた瞬間だった(笑)
長男坊ではあったが、家業の大工も継がずましてや上京だなんて(笑)
でも下2人いるから家はなんとかなるかなって(笑)
はじめの3日間は社員ベテラン選手の方が助手席に同乗し道案内や積み降ろしのイロハを教わり、4日目からひとりでの乗務。
地図を片手に〇〇交差点右折や信号何本目左折…
頑張って道覚えたな。
信号待ちでは一目散に地図を見て現在地の確認に懸命(けんめい)だった。
道、間違ってないよなって。
運転してみて思ったのは都会の人は道を譲ってくれるんだって。
(田舎だと交通量が少ないから、俺が通ったあとで行け!みたいな風潮がある)
都会の人って本当は優しいんだ!と感じた瞬間でした。
仕事自体は12個のパレット(4t車の場合)を積んで降ろすだけ。
一部を除き重い荷物の積みが入ったパレットは無いし、道路が渋滞しても遅延する時は無線で連絡すればいい。
高速道路を主体とした配送ルートだったので覚え易かった。
道さえ覚えれば毎日街を眺めながら観光気分でドライブ♪みたいな感じだった。
お給料は10日に一度。
田舎のおおよそ1ヶ月分が10日で本当に貰えたし。
東京っていいとこ!なんでもっと早く来なかった俺?
何度思った事でしょう。
(その当時は方言バリバリでしたのでもっと言葉は少なめです)
でも多く貰った分、使うお金も多かったな(汗)
同郷(どうきょう)の仕事仲間20名くらいで一緒に寮(りょう)生活だったので、飲む打つ買うも時には皆で一緒に。
仲間とどこに行っても方言全開で、女の子のお店では頑張って方言混じりの丁寧語を話してました。
この時もう少し意識して話していたら、入社当時に困らなかったのになーと思った事のひとつ。
入社後の受電で感じた大きな事。
会話が出来ない。。。
言葉が出てこない。。。
大げさに言うと外国に来た感じ。
次号に続く。