お酒は好きなんですが、仕事もありますからあまり飲み過ぎれ…
普通の女の子が風俗をやる時代と言われて久しいのですが、実際に風俗の現場に関わってみると必ずしもそうではないことがすぐにわかります。
確かに素人系を謳い商品が「普通」であることを殊更に強調することでより利益を得るという構造はその需要の高さを意味するわけですが、しかしそれは単に都合の良い幻想に過ぎません。
すぐに気が付く「異常」は主に家庭環境に関すること。
まだ慣れない頃は特に気にしてもいなかったのですが、或る時期から女の子との会話の中で(面接の時点から既に)家庭環境、特に両親の話題は完全にタブーとするようにしました。
事情は様々なのですが彼女らの「片親率」の高さが普通ではないのです。
特に男親の不在が顕著なのであるいは父性への渇望がこの仕事への敷居を下げているのかなと私なりに分析してもいるのですが、まあ多分そんなに単純なものでもないのでしょう。
「走ることができない」は「走(ら)れない」で「食べることができない」は「食べられない」、ならば「飲み過ぎることができない」は…。
冒頭のそれは体験入店の女の子との会話での私の発言、お酒が好きだとかそんな話になって文字通り言葉に詰まりました。
「飲み過ぎ(ら)れない」なんて言葉が果たしてあるのか、ならば私は普段それを表現するときにどんな言い回しをしているのか、くだらないことだと思われるかも知れませんが、そんなことにひどくアタマを悩ませてしまいました。
その日は女の子の顔を見るたびに誰彼かまわず「『過ぎる』は動詞でしたっけ?」とか「やっぱり『飲み過ぎはできない』というのが正しいのかな?」などと唐突に質問して怪訝な顔をされてしまったのですが、その中で一人「それはゲシュタルト崩壊の一種ではないですか?」と答えてくれた女の子がいました。
不摂生な私が疑っていたのは、実はアタマの線が1本切れて生じた失語症の類ではないのかということでしたから、残念ながらその回答は何の問題解決にもならなかったのですが、しかしこの職場で「ゲシュタルト崩壊」なんて語彙に出くわすとは、あらためて「普通」ではないな、と。
満たされない不幸をどうにか埋め合わせようとする人たちが集まる、実は案外と知的でもあるこの異常な空間…、否、文章が散漫過ぎてまるでお話が見えてきませんね。
ちなみに件の「飲み過ぎ」が云々のお話は「飲み過ぎ(ら)れない」という言い回しは多分正しくて、自分も普段意識することなくそのような言葉を用いているのであろうと勝手に納得することで解決しています。
ゲシュタルト崩壊にも似た違和感、奇妙な異化をもたらしたのは多分「疲れ」なのでしょう。
申し遅れましたが私は品川ラズベリーで責任者を務めさせていただいている者です。
玄人っぽい素人と素人くさい玄人。
要は意識の問題で、プロ意識は高くてもあくまでもアマチュアであり続ける人とプロのくせにその意識が低い人、前者の方が当然良いに決まっているのですがこれがなかなか難しい。
素人は素人であることが最大の武器となるのですが、しかしそれがまた逃げ道にもなってしまう、あくまでも副業ですから、と。
後者は論外、素人系とは言っても相手は別に「素人くささ」を求めているわけではありませんから。
そんなふうに他人様を指導している私自身が目指すのもやはりそれ、私はあくまでもアマチュアであり続けたいと思っています。
プロ意識の高い素人が何故より多く求められ、しかし決してプロとは見做されず、むしろ素人ゆえに愛されるのか…。
スリリングな職場雑記にして私の日記、答えはいつも遠くに逃げてしまいます。
問題ありません。
きっとアナタにもできるはずです。