最近このフレーズを久しぶりに耳にしました。ご存知の通り、非常に残念なニュースの中で何度も繰り返されていたフレーズです。
今にして思えば97年頃というのは散々でした。特にインターネットの普及に伴って両者の間には随分な差ができてしまったように記憶しています。勿論「優劣」ではなくて「対応/非対応」によって生じた「便/不便」の差です。閲覧できないサイト、参加できないコミュニティ、利用できないサービス、いやと言うくらい「マイノリティ」を意識させられました。そんなとき耳にしたのが上のフレーズでした。天才(あるいは変人)の列に添えられたそのフレーズ…。
ちなみにこれはケルアックの『路上』という有名な小説からの引用。「ヒッピーの教科書」とも言える小説から引用してくるのが如何にも「らしい」感じです。
さらに余談。このケルアックの小説は私も好きで、これにちなんで私は一時期「路上生活者」という言葉をよく使っていました。何を置き換える言葉かと言えば、それは小野洋子が日本に輸入した「ホームレス」という言葉、彼らは家が「無い」ではなく路上に「在る」のだ、と。そして、この他愛も無い「言葉遊び」が或る映画の脚本にそのまま用いられているという事実は私にできる数少ない自慢話の一つでもあります。そんな私が品川ラズベリーの責任者だというのはここだけの話。
閑話休題。その一連の広告とスローガンに私が感じたのは至って単純なことです。「私の選択は間違っていなかった」と、ただそれだけです。
ブレイクするっていうのはバカに見つかるってことなんですよ
或るお笑いタレントの言葉。どうやらアイドルオタクどもがこの言葉を随分とありがたがっているようなのですが、この言葉の秀逸さは実はそこにあります。ここで「バカ」から除外されている人たちの自尊心をくすぐり、そして、調子付かせる…。「自分たちだけが何かをわかっている」「自分たちは間違っていない」と、そんなナイーヴな自尊心の拠所としてその言葉は見事に機能しているのです。
アイドルオタクたちの虚栄心の満たし方は最近のAKB48を巡る一連の乱痴気騒ぎを見ていればよくわかります。世間の冷ややかな視線にともすれば自己嫌悪に陥りがちな彼らをその言葉は救ってくれるのです。結果、何の反省もないまま彼らの部屋は開封されないCDの山で埋まっていく…、と。
最近特に感心しているのはオンラインゲームの課金システム。上手く出来ています。思わず使ってしまいます。主にアイテムの入手に課金が必要となるのですが、オンライン上の他者との差別化の要請にまんまと乗せられてしまいます。虚栄心の強い人ほどこの「地獄」に嵌っていくようにも見えます。「これはキャバクラだな…」と、最近になって漸く気が付きました。
さて、財布の紐も長くなりがちなこの御時勢にどうすればその紐を緩めることができるのか、私も商売人のハシクレですからそんなことを考えてみたりもします。上に列挙したのは今どきおカネを使わせている人たち。経済活動とはとどのつまりが自己確認の手段なのではないかと、そんなことを思うに至ったのですが…。
自分が(アナタにとって)特別な存在だと錯覚させなさい
女の子に仕事を教えるときによく使うフレーズです。相手に優越感を持たせるのが接客の基本、よくよく考えてみたら私も同じことを既にやっていましたね。やはり教え方が下手だとこうも違いが…。何れにせよ、それが「原点」に相違ないと。
経済活動の場面に信仰にも似た強い磁場を出現させる人たち、おカネは「回る」のでも「流れる」のでもなくて「引き寄せられる」のであり才能のある誰かが「引き寄せる」のであると。どうやら「カネは天下の回りモノ」なんて呑気なことを言っているご時勢でもなさそうです。
最後に、飽和と差別化の要請が繰り返される風俗業界にもやはり”Think different”は必要です。シンデレラFCグループにはそんな「異端」を受け容れる素地があることを私はよく知っています。否、この場所から世界を変えることだってきっとできるに違いありません。