毎日の通勤電車で周りを見渡すと、
余裕の無い様子で、かつ不機嫌そうではありますが、新聞や携帯電話を、座っていればノートPCを、皆何やら覗き込んでいます。
特に携帯電話、
私の5年分のアジアボケが残っているのか、気のせいかも知れませんが、風景も書物も睡眠も捨て携帯を覗き込むその姿は、希望があるとすればそこにしかない、そんな勢い、もしくは何かしら切実ささえ感じられます。
まず単純にビジュアル的に危険な感じがします。
背中を丸めて眉間に皺を寄らせ、小さな画面を覗き込むその姿は極めてアレな感じです。
私の感覚が間違っているのかと考え、ブラッド・ピットで想像してみましたが、両手でカサカサ入力している姿はやはり危ない感じに変わりはありませんでした。ニコラス・ケイジで想像してみたらもう戦争が勃発しそうな雰囲気です。
見た目だけでなく、携帯のごく小さな画面を長時間見続け操作するという行為そのものも、少なくとも普通では有り得ません。
見慣れてしまってはいますが、冷静に考えれば240ピクセル平方の画面をずっと覗き込むのは、尋常ではない何か特別な事でなくてはならないはずです。
そこは特別な場所なのです。
神は二度死に、物語は失われ、世界はシミュラークルとなり終わり、
しかし辛うじて携帯が、最後のフロンティアとも呼ぶべきその場所が残っているのです(本当かと疑うのは構いませんが、携帯に見入る人々の姿がそれを証明しています)。
ここはさらにそのフロントライン、サイト制作現場です。
何かが出来るとしたらきっとここです。
あなたの賢明な選択をお待ちしています。
BGM: “It’s a good day to die” – Starship Troopers 3 –
携帯雑考