Web事業部/制作部セクションチーフの長岡でございます。
前回のBlog「Webのスキルなど必要ない!」の中で少しふれました、「私の教えたことは忘れていい!」という話が、私の部署以外の所で物議(?)をかもしだしているようなので、今回はこの「私の教えたことは忘れていい!」について語りたいと思います。
正直申し上げますと私はコーディングチームを束ねる「チーフ」としては、失格です。
理由はいくつかありますが、「チーフ」失格の理由のその一つは「話がやたらと長い!」。
本来であれば、作業に必要な事のみを伝えて仕事をさせれば、作業効率もスピードも上がるのですが、簡単なHTMLの修正ひとつとっても、その修正にまつわるSEO的意味やWebデザインの歴史などなど・・・その作業の裏に横たわる理由を語らなければ気が済まない性分なのです。
例えば・・・モバイルサイトの修正で、GIF形式の画像をJPEG形式に直さなくてはならない場合、GIF形式とJPEG形式の圧縮仕様の違い(可逆圧縮と不可逆圧縮の功罪)について説明したり。旧バージョンのPhotoshopではJPEGを高解像度で保存できるため、時々350dpiのJPEGがあるので注意を促したり。90年代後半にあったGIF使用特許料発生懸念による現場の混乱と、GIF形式代替物として登場したPNG形式の功罪について語るなどなど・・・ただ単にGIF形式をJPEG形式に変更する指示を出すだけで延々と2時間近く説明したこともありました。
ただし上記のケースは、その作業をお願いした部下がCMYKとRGBの違いもわからない初心者だったので、これだけ長く説明したわけですが・・・(ちなみ、この時はアナログとデジタルでの色認識の話に展開し、最終的には量子力学概論の話になってしまいました)
しかし、私が「私の教えたことは忘れていい!」と言っているのは、別に私の指示出しが長いから「忘れていい!」と言っている訳ではありません。
「私の教えたことは忘れていい!」、その心は?と問われれば、それは、「知識記憶」は必要ない!大事なのは「経験記憶」だ!ということです。
ただの「知識記憶」など現場では大して役立ちません。
必要なのは「経験によって培われた知識」です。
私が延々と話す内容の大半は「現場」で教わったことです。それを伝えたくて延々と語るわけですが、しかし、どんなに言葉を重ねても「経験」は伝わりません。
現場での「痛み」や「楽しさ」、「感情」を伴った「仕事の記憶」、つまりは「経験記憶」が備わらなければ意味が無いのです。
「経験記憶」に基づいた仕事ができなければ、仕事の「質」や「精度」は上がりません。
私は1つの仕事を部下に頼むとき、延々と私の経験に基づいた知識を踏まえて指示を出します。でも、それを聞く部下にとっては、ただの「知識」としてしか伝わらないでしょう。
だから「私の教えたことは忘れていい!」のです。
私が延々と語るは、仕事の「モチベーション」を上げるため=「動機付け」をするためです。
「何故、今、その砂を噛むような作業を明日までに終わらせなければならないのか?」
その動機付けをするために、私は、私の経験に基づいて仕事の指示を出します。
「動機付け」が済んだら、もう私の知識など用無しです。
その後は、部下の一人一人が現場で感情を伴った仕事をすればいい。
それがいい意味での「経験記憶」になるはずです。
仕事に向き合う時の「感情」は、「モニタの向こうにいる人のことを想え!」ば、自然と前向きになります。
「モノを創るココロ」があれば、モニタの向こうにいる人のことを想えるはずです。
それができさえすれば、仕事の「質」や「精度」は自然と上がります。
ここで重要なのは「モノを創るココロ」や「作り手の責任」です。
こればかりは、その人の”資質”に大きく依存するところがあります。
なので、「チーム長岡」では「モノを創るココロ」を持った方を求めています。
「モノを創るココロ」さえあれば、Webのスキルなど必要ありません。
「作り手の責任」を心得たWeb初心者大歓迎です。